じわりじわりと変化している感覚をもっていませんか

豆苗

こんにちは^^ tomokoです。

コロナのニュースは引き続き流れていますが、東京の決まった業態、場所での出来事のような感じがするからでしょうか。

ここ名古屋でも、人通りが戻ってきて、「人ってこんなに多かったんだっけ」という印象のこの頃です。

以前は、これが日常だったのでしょうね。

でも自粛の数か月で、感覚が変わってしまったようです。

あまりに情報があれこれとあって、コロナが本当にそこまで要注意なウイルスなのか、世界の国々で発表されている患者数、死亡率などは、本当なのか。

疑いだせばきりがなく、何が本当で何がフェイクニュースなのか、さまざまな立場の方のそれぞれの発信を読むごとに、自分が試されているような気さえしてきます。

そう。

ある意味、試されているのかもしれませんね。

情報がどうであれ。

世界各地から入ってくるニュースが本当のことであれ、偽のことであれ。

「じゃあ私はどういきるの?」

たったそれだけの、シンプルなことを目の前のホワイトボートにすっと書くことが出来るのか。

そんなことを試されているような感覚があります。

コロナの前の世界に戻りつつあるように思う方、いるかもしれませんが、アフターコロナのこの世界は、以前とはもう、まったく違っていると思います。

100年前のスペイン風邪の歴史と同じように、コロナも小康状態を保ちながら、また大暴れする時期があるという予測があります。

実際、穏やかになった国、地域もあれば、第2波が再発しそうな地域ありという予測もあります。

細かいことはさておき、今は「肌感覚」というものを、研ぎ澄ませておくのが良い時代になったと感じています。

なぜかというと、肌感覚を研ぎ澄ましていれば、何かあった時に「すっと動く」ことが可能になるからです。

たとえば、これまで何かの流れで仕事を依頼していた会社があったとします。

可もなく不可もなくですが、何よりも、先代からのおつきあいがあるからという理由で、取引が続いていました。

けれど、孫世代のお互いの担当者同士は、考え方も違うし、性格もあいません。

コロナ後の対応で、それが顕著に表れてきました。

そんな時、どうしますか?

お互い、この時代を生き抜いていかなければならない時に、「合わないけれど昔からの付き合いの延長だから」というだけで仕事の依頼を続けることに意味があるのかどうか。

そういった嗅覚、判断力、決断力と実行力。

これまでは付き合い重視で表面だけにこにこしていたようなことがあったとしたら、アフターコロナの時代には、お互い消耗するだけのような気がします。

さっと動いて、お互いが気持ちよく取引できる相手を、再度探していも良いのではないかと思うのです。

そこに躊躇していると、変化してきたこの世界で波に乗り損ねてしまう感があります。

それは、相手の方にとっても良いことのような気がします。

変化を感じ取る。

肌感覚を研ぎ澄ます。

判断してさっと動く。

これまで以上に身軽な動きが、アフターコロナの時代に幸せを呼び込むような気がします。

東京で暮らす母とはラインのやり取りをよくしています。

先日母が、食べ終わった豆苗をまた栽培しているというので、私もさっそくまねしてキッチンに置いていたところ、上部の写真のようにどんどん2回目の豆苗が伸びてきました。

写真を母にラインで送ったところ、「すごい生命力」と母が喜んでくれました。

いま、アフターコロナの世界にいる私たちって、案外、こんな感じかもしれません。

「元」は同じだけれど、2回目に伸びた新しい芽。

同じようで、同じではない、新しい芽。

今年新しく生まれて、すっかり定着した「3密」という言葉。

この言葉が生きている世界は、これまでとは違う世界。

変化の過渡期がこれからきて、大きくバランスが一時的に崩れたり壊れたりしながら、生きのびた先には、まったく新しいニューワールドが開けると予想されている方もいます。

15年だそうです。そこにたどりつくのにかかる時間は。

長いような気もしますが、今年55才の私は15年前は40才になるかならないかで、15年後は70才です。

そう計算すると、人生の一コマかもしれませんね。15年。

軸を持って生きることを模索しているうちに、案外、あっという間にニューワールドが開ける15年後を過ごしていそうな気もします。